どちらも嘘

Politics (政治)
最も無垢で誠実な人を除いて、私たちは皆、心のどこかに、策を弄(ろう)する政治家が潜んでいます。事実、マインド(心)は策士です。状況と人々を操ろうとして画策し、戦略を用い、自分の欲しいものを手に入れようとします。それがマインド(心)の本性なのです。雲でおおわれた蛇が二枚舌を使うように、心にはふたつの顔があります。

しかし、このふたつの顔は、どちらも嘘だということです。甘く無垢な「私を信頼して」という顔も仮面であり、邪悪で毒を持った「お前など俺の思い通りになるのだぞ」という顔もまた仮面なのです。このゲーム全体が嘘なのです。このようなゲームをしていないかどうか、自分自身をよく見てみましょう。

そこであなたが見るものは痛みを伴うでしょうが、このゲームをさらに続ける痛みほどではありません。そんなことをしても、最終的には誰のためにもなりませんし、何より自分のためにはまったくなりません。策士として働かせた心で何かを達成したとしても、それはすべて水泡に帰してしまいます。

うまく装うことができる人や、偽善者になれる人であれば、誰でもあなたがたの政治的な指導者になるであろう、あなたがたの宗教的な聖職者になるであろう。そういう人には偽善だけがあればいい。ずる賢さだけがあればいい。その背後に隠れる装いがあれば、それでいい。あなたがたの政治家たちは、二重の生活をしている。あなた方の聖職者たちは、二重の生活をしている。ひとつは表の入り口から、もうひとつは裏口から。そして、その裏口の人生こそが、彼らの本当の人生である。表口での笑みは偽りにすぎない。とても無垢なように見えるが、その顔は訓練で鍛えたものにすぎない。

もし政治家の本当の姿を見たければ、政治家をその裏口から見なければならない。そこでこそ、政治家は自分のあるがままをさらけ出している。それは聖職者も同じ。この二種類のずる賢い人たちが人類を支配してきた。

しかも彼らは、もし人類を支配したければ人類を弱くし、罪悪感を抱かせ、自分には価値がないと思い込ませることだということに、非常に早くから気づいていた。人々の尊厳を破壊し、栄光をすべて取り去り、屈辱を与えることだと、非常に早くから気づいていたのだ。

さらに彼らは、まったく目につかないほど微妙なやり方で、あなたに屈辱を与える方法を見いだしている。それは、あなたに屈辱を与えるのを、あなたを破壊してしまうのを、あなた自身に任せるいうやり方である。

彼らは、あなたがたに、一種の緩慢な自殺の仕方を教え込んできたのだ。

Takaのただばな

あなたの心の中に、策を弄する政治家がいたとしたら、それを装うための宗教的な聖職者がいたとしたら、それら(彼ら彼女ら)はどちらも本当の自分ではないのです。

誰かの都合でつくられた正義や、誰かを支配するためにつくられた正しさは、どちらも嘘であり、どちらもあなたを幸せにしません。

正義や正しさで生きるのではなく、
美しさや楽しさで選べたら良いですね。

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