どんな長雨もいつかやむはずなのに、新型のそれはなかなかやみません。
どんなに立派な建物の中で、選りすぐりのエリートたちが策を講じても、建物の外で生活している多くの市井の人たちにしたら、どれも机上の空論にしか聞こえないのでしょうか。
目に見えない長雨は、私たちが気がつかないうちに大通りから人々の往来を消し去り、建物だけが映り込む大きな川になってしまうかもしれません。
誰かに言われるまで待ち続け、誰かに言われたからと誰かのせいにしていても、長雨はやみません。自分のこととして、自分たちのこととして、ひとりひとりの生きる力が試されているように思えてなりません。