悩むのは時間の無駄

きっぱり。さっぱり。悩むのは時間の無駄。悩んでばかりいて先に進めない人は、悩むのが好きな人。もしもその人が「(悩むのは)嫌いだ」と言い張るのなら、「(嫌い)だったら今すぐやめなさい」とはっきり返そう。

健常者で悩みを聞いて欲しい人は2通り。悩みの本当の原因を理解して自分の問題を解決したい人と、悩むのが好きでただ自分の悩みを聞いて欲しい人。悩みの理由は二次感情で、その原因は一次感情にある。一次感情となる自分の本心を本人が受け入れられない限り、いくら悩んでも悩みは解決しないし、悩みぐせも止まらない。

悩み体質の理由はさまざまだが、育ち方、特に幼少期や子供の頃の親や先生からの影響が大きい。自分とは異なる彼らの価値観を押し付けられ、自己主張できないまま反抗期をスルー(のが)し、自己肯定感や自信が育たないまま大人になると、自分なりの幸せや物事の良さ、幸福感や成功が分からないため、自我が希薄になる。

自我が希薄だと、自分がどうすれば幸せなゾーンにいられるかがうまくつかめず、自分と向き合えず、自分以外の影響を受けやすい。自分以外の影響から生じた悩みは、もともとそれは自分のことではないため、いくら悩んでも分からない。他人との接し方もその加減が分からず、なにかと極端になりがち。結果として、本人はとても疲れる。周りもまた、必要以上に気を遣ったり、逆に攻撃的になったりする。

ここまでになってくると、僕も「(悩むのが)好き」などと発破を掛けた返しができなくなってしまう。たった今、何かに悩んでいてこれを読んでいる人がいたら、僕から言えるのは、あなたは何もそこまで悩まなくてもなんとかなるということ。もしかしたら、その悩みは実はあなた以外の(人の)問題で、あなたが悩まなくても良いことかもしれないということ。それでもまだ深刻な悩みだとしたら、僕がそういう悩みを知らないから、ここに書いたことはあなたの参考にはならない。

もしも心当たりがある(自分が悪いとか問題だとか原因だとか思える)のなら、それを認めて謝るとかしてみること。そこに相手がいて、もしも相手が許してくれないとしたら、許してもらえるまで謝りたければそれをしてみても良いし、あなたを許せないのは相手の問題として手放すのも良し。少なくとも、もうそのことで悩まなくても良いはず。

いやいやそんな良いとか悪いとか単純な悩みじゃないんだってばという人で、その悩みを本当に解決したいのであれば、その悩みを解決してくれる専門家にお金を払って相談するのが間違いありません。

また、敏感気質な人や、鬱や社会不安、解離性障害、愛着障害など、悩んで悩んで自分がすごくつらい時には、精神科や心療内科などの医療機関に相談しましょう。

追伸:
2段目の「悩みを聞いて欲しい人」に「健常者で」とあとから付け足したのは、「悩み体質の理由」を書いているうちに、悩んでいる人にも色々あるのが伝わってきたから。

書くのは勝手だけど、読まされるのは堪らないって人もいるよね。「読まなければ良い」と言うのは簡単だけど、それでも読んでしまうのは、そこに書かれた物があるからで。とはいえ、「書いたんだから責任取ってよ」とにじり寄られても、読まされた人には「読んでくれてありがとう」しか言えません。あなたの悩みはあなたにしか解決できませんから。

中には専門家や医療機関にお金を払って相談したけど解決できず、なんらかの理由でこれを読むことになったとしたら、僕の勝手な価値観と少々の経験でもって「それはあなたが悩むのが好きだからだ」なんて書かれているのを読まされたら、これはまたこれで悩みを増やしてしまうことにもなりかねませんね。

それでもやっぱり、僕は「悩むのは時間の無駄」と思うのです。とはいえ、だから悩んではいけないとか言うつもりはありません。悩むことに時間をかけるのは本人の自由です。一生悩みながら生きるのも本人の自由です。体に良くない美味しい食べ物をたまに食べたくなるように、あえてわざわざ悩んでみたりするのも本人の自由です。それを僕がとめようとするのも余計なお世話で変です。

ただ僕は、それでもやっぱり「悩むのは時間の無駄」と思うのです。悩むなら、悩みの原因を見つけて、そういう気持ちが自分にあるとか、そういう欲求を自分が持っているということに気がついた方が得だと思うのです。これは悩みに限らず、怒りや悲しみにも当てはまります。

自覚するだけでも良いし、その欲求を満たすために何か行動(始める、努力するなど)すれば良いし、そう思える自分の状態が良いと思うし、ありがたいと感じるし、楽しいし、幸せだと思うのです。

どうしてそこまで思えるのかというと、上に書いたことすべて、自分で自分に言ってきたことだからです。

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