吐き出す。吐くと楽になる。ため込まない。話して放す。
気分が乗らないゾーン、気持ちが落ち込むゾーン、自己嫌悪感に苛まれるゾーン、罪悪感に潰されるゾーン、劣等感に蝕まれるゾーン、怒りに破壊されるゾーン、悲しみ打ちひしがれるゾーンになったら、そういうゾーンがあるのだということを「知る」だけで良い。
もちろんそれを味わうのは自由だが、もしもあなたがそこから抜け出したいと思うのならば、そのゾーンで自分の気持ちを練り込まないこと。いくらそのゾーンで考えても、いくら悩んでも、ゾーンからは抜け出せない。
自分がそのゾーンにいる理由は、自分がゾーンにいては見つからない。原因は、ゾーンの外にある。原因を見つけたら、自分がそのゾーンにいなくてもよいことが分かる。
気分が乗るゾーンや気持ちが上がるゾーンがあるように、気分が乗らないゾーンや気持ちが落ち込むゾーンは常にある。自分がそこに行かなければ良い。たとえまたそのゾーンに行ったとしても、ゾーンがあること(だけ)を知っていて、そこに行った原因はゾーンの外にあることを知っていれば良い。
そうすれば、ゾーンを俯瞰できる。いつまでもそこにいなくても良いことが、いつまでそこにいても何も良くないことが自分で分かる。自分はそのゾーンからいつでも出られるのだということを分かっているので、そこで悩まなくて済む。
吐き出す内容(たとえば悩みの原因)に、善悪をつけないこと。
吐き出すほどため込んでいた自分の感情や本心は、他人に言えないようなこともあるかもしれないが、それで良い。そこに善悪をつけると、また自分で(気持ちが落ち込んだり自己嫌悪に苛まれる)ゾーンに行ってしまう。
人に言えないようなことも、自然や宇宙は受け止めてくれる。あなたがいくら悪態をついても、それが理由で明日太陽が昇るのをやめたりはしない。あなたに雷を落とすこともない。
自分が分かっていればそれで良い。自然や宇宙は受け止めてくれる。良いも悪いもないのだから、ジャッジすることもしなくて良い。それでもあなたを嫌いな自分がゾーンに誘ってきたら、自分の嫌いな部分を認めれば良い。好きな自分があるのなら、嫌いな自分があっても良い。無理して好きにならなくても良い。「ある」ということを認めれば良い。
好きな自分がまったくないのなら、好きな自分がまったくない自分が好きなことを認めれば良い。人は関係ない。親兄弟も関係ない。他人はまったく関係ない。住んでいる場所や地域も関係ない。自分が分かっていればそれで良い。
もしも自分を分かってくれる人がいたら、大切にしよう。もしも自分のことを理解しようとしてくれる人がいたら、大切にしよう。もしも自分のことをジャッジする人が現れたら、気をつけよう。もしも自分のことをコントロールしようとする人が現れたら、離れよう。
それでも地球は回り続け、月は満ち欠け、陽はまた昇る。
あなたが吐き出せば、自然や宇宙は受け止めてくれる。あなたがため込めば、あなたの周りは澱む。想念は、広がるとその場は活性化するが、停滞するとその場は澱む。澱むとその場は穢れていく。ため込まず、吐き出そう。