認めよう

なぜ否定された気持ちになるのか?
それは、相手に認めて欲しいから。

相手に否定されたと思うと、どんな気分になりますか? イヤな気分になりますか? 腹がたちましたか?

その時、次にあなたは相手に対してどのような行動を取りたくなりますか? 言い方が気に入らないとか言って、相手を責めたくなりますか? なんとかして相手に分からせようとしたくなりますか? あなたは相手に何を分からせたいのですか?

どうしてあなたは相手の言い方が自分が否定されたように聞こえるのですか? もっと好意的に受け取って欲しかったとか、もっと優しくして欲しかったとか、何かそういう期待があったのではありませんか?

相手の言葉がどのように聞こえるかは、自分の受け取り方次第。否定された気持ちになったのは自分です。なぜ否定されたように聞こえたか、その理由は自分にあります。そして、なぜ否定されたように自分に伝わったか、その理由は相手にもあります。ただし、相手がそのことに無自覚な場合は、相手に聞いても分かりません。仮に相手に自覚があったとしても、相手もまた認めたくないのであれば、おそらく聞いても答えてはくれないでしょう。

自分を相手に認めて欲しいのであれば、自分も相手を認めることです。いや、自分が相手を認めれば良いのです。それだけで良いのです。相手があなたを認めるか認めないかは関係ありません。

相手を認めていれば、責めることはありません。自分が相手に認められている、いつか認めてもらえるだろうと信頼していたら、責めたくなることはありません。

さらに言えば、自分を相手に認めてもらおうと思わなければ良いのです。認めて欲しいと思わなければ良いのです。最初から、相手に期待しなければ良いのです。

どうしてあなたは相手に認めて欲しいのですか? 認めてもらうと、あなたのどんな気が済むのですか? それはあなたの真心ですか? それともあなたのエゴですか?

承認欲求が強いのは、幼少の頃に親からの愛を受けなかったからといった、言い訳や気休めから卒業しましょう。たとえそうだったとしても、あなたはこれからもそうやって生きていきたいですか?

物心ついた頃から人と違うと他人から疎外されたり、変わり者といじめられたりすると、「人と違う」「変わり者」として生きがちです。人と違うから、変わり者だから「誰かから認められたい」と生きがちです。誰かから認めてもらうために、人と違わないと、変わり者でないと生きていけなくなってしまいがちです。

ひとたび誰かから認めてもらうと、「人と違う」「変わり者」として生きていけなくなってしまいます。結果、あなたは誰かから認められることを拒み、自分はこれからも「人と違う」「変わり者」として、「誰かから認められたい」と生きてしまうのです。

中には、自分のことを「人と違う」「変わり者」とした他人のせいにして、自分と向き合わない人も。不幸な環境や境遇にかこつけて相手の同情を誘ったり、わざとへりくだった態度で相手に優越感を持たせてコントロールしようとしたりと、自分(の欲求)をわざと他人に決めさせようとしながら生きる人です。テイカーとかバンパイア系がそれですね。『沼』ですね。『闇』ですね。

他者を承認するのは、あなたの愛です。
自己を承認するのは、あなた自身です。

他者から承認されたいのは、あなたのエゴです。
他者を承認できないのは、あなたの劣等感です。
自己を承認できないのは、あなたの罪悪感です。

エゴも劣等感も罪悪感も普通です。人間だもの。

とはいえ、どれもこれも「あなた」ばかりです。
自分で変えられる(調整できる)ものばかりですね。

あなたは愛そのものです。
ちょっと忘れているだけです。
さ、思い出しましょう。

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