変容を実感しちゃった日

世界中のすべての人々から、すでに亡くなった人やこれから生まれてくる人たちから、自分が生まれてきたことを喜んでもらったと思ったら、特定の人から気にしてもらいたいとか愛されたいとか思わなくなった。

77億の人々、亡くなった魂、これから生まれてくる魂、動植物、大地、水、空気、金属、粒子、宇宙、すべての存在が、自分の存在を喜んで(気にかけて、チヤホヤして)くれて、すべての人々はそのことを覚えていない、単に記憶にないだけなんだと思ったら、自分以外の存在に、自分のことを気にかけて欲しいと思わなくなった。

自分もまた、すべての人々のことを、彼らが生まれてきた時に喜んだのだと思えた。お互い記憶にないだけで、お互いの誕生を喜び、一瞬でも気に留めたことがあったのだと思えた。そう思えたら、自分以外への期待も偏見も消えた。

今まで心の根底にあった自己肯定感の低さや劣等感、例えば、、、

自分が変わり者呼ばわりされる割りに変わり者が嫌い(変わり者を見ると自分の劣等感スイッチが入る)。

成功したいくせに成功者が嫌い(成功者を見ると本当は羨ましいのに妬み嫉みひねくれ素直になれない)。

新しいことが好きなくせに変化することが面倒。

自分よりも上だと思う存在にへつらい下だと思う存在にぞんざい。

何かにつけて不毛なジャッジをしたがる。

楽しそうにしている人が気に入らない(羨ましい)。

幸せそうにしている人が気に入らない(羨ましい)。

人の生死に超敏感なくせに大事故や天変地異に興奮する。

思い出そうとすればまだまだありそうだが、こういったことがまるで笑い話(その時には深刻だよね)のように、自分とは関係ないものとしてあけっぴろげにできるほどになった。

僕は、親から愛されたいという欲求の先に、地球上のすべての人々から愛されたいという欲求があることに気づいた。しかし、その愛されたいという実感は、彼らから実際に何をしてもらいたいとか、僕のことをずっと気にして欲しいといったことではなかった。

一瞬より短くても、彼らの記憶になくても構わないので、僕自身が、自分の誕生、存在が、彼らの気に留まったことがあると思えただけで、今まで抱えていた自分以外への欲求(喜んで欲しい、気にかけて欲しい、チヤホヤして欲しいという欲求)が消えてしまった。

不思議だが、人がやることが気にならなくなり、人々にやさしくなり、自分も人が気にならなくなった。

愛されていないと思っていたのは自分で、自分はすでに、そして今までもず〜っと、すべての存在から愛されているのだと思えた。それに気づいたら少し泣けた。

そして今、僕はとてもすがすがしいのである。

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